「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由(阿部 幸大) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
底辺校とは小中学であって、高校ではないようです。底辺校は確かにあって、いわゆる教育困難校です。
義務校(小中)でも教育に熱心な学校とそうでは学校があります。文教地区の学校は熱心なところで、アルマーニで有名になった小学校も多分、元はそういう学校だったのだと思います。
都会では保護者が気にしていて、そういった学校(学区)に引っ越します(同じ地区でも道路一本で学校が変わるので結構気にしている)。最近は「底辺」地区にタワマンが建って、新裕福層とザ・下町が流れ込んでいる小学校があります。
東京は特殊なところで、私立高校が一番になるところです。普通は古くからある旧制中学出身の高校が地元のナンバーワンになります。群馬は二つあるそうです(前橋と高崎)。
よくアンテナを張っているということを聞きますが、アンテナを張っていなる人は情報が引っかかるのですが、ない人はスルーされてしまいます。ですから物理的にある・なし以上に認識できる・できないの問題が大きいです。人は頭にイメージなり感覚なりが無いと物理的なものも認識できないです。これはトランプ現象でも明らかです。
東部と西海岸のリベラル勢力が中西部の人たちおよび同じ嗜好を持つ人、物理的には存在しても認識上は消えていた人たち、がトランプ現象の一部を生み出していました。
その世界にいると、それが常識化(バイアスがかかる)してしまうという事例。
実働している商業漫画家は3000人くらいってTLで見かけてびっくりした…周り漫画家だらけだから…何かもっと多いような気がしてた…実は少数戦闘部族だったのか……
— 吟鳥子@3巻続「きみを死なせないための… (@gintoriko) 2018年5月13日
gendai.ismedia.jpと、元になったツイート
知らないものは選べないー"田舎"から東大へ進学した経験からの考察とその反応 - Togetter
この記事の話はかねがね同意できるのですが、議論の軸が複数混じり合って、読者に変な誤解を生みそうなので、教育に限って議論の土台となる指標を述べたいと思います。
今来産業向け
要点は図にすると以下のようになります。
記事の方は、主にDとAを対象にしているようです。B(地方の上位層)とC(都市の下位層)は含まれていないと思います。
大学全入化時代と呼ばれる現在においてもなお、教育年数に与える家庭環境の影響は大きく、高等教育進学費用の軽減等、機会の不平等を是正する政策が必要である。
都道府県別大学進学率。各県とも約40~50%だが東京が70%。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/042/.../08/.../1388715_05.pdf
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学力の地域格差:教育格差の発生・解消に関する調査研究報告書 - ベネッセ教育総合研究所
縦と横
縦というのは偏差値だと思ってください。横は都市と地方です。まずは横から。
横
大枠は地方と東京の格差です。昔からいろいろな言い方で都市と田舎の差を言い表しています。
「田舎の三年、都の昼寝」
解釈はいろいろあると思いますが、ここでは都市の方が田舎より時間の流れも何もかも速いと言うことです。それだけ進歩のスピードが速い。
都市と田舎はそれだけ違うということです。早い話が地方と都市の文化資本の差。上野の森(JR上野駅付近)の豊かさとそれを理解する都民です。
(その話はこちら。2018年映画化するようです。)
以前あった話
以前聞いた話に、村一番の秀才(神童)が大学進学を機に東京に来て、隣の人たちが哲学(確かカント)について話しているのを聞いて驚いたというのがあります。自分はただ勉強ができただけだと。隣の大学生は東京の私立一貫校出身。文化資本の差を感じたと。
東京都民の大学進学率が7割(全国平均5割)というのは、明らかに突出しています。さらに中学受験は、東京は3割(全国平均1割)です。
大学進学率全国平均52%を超えているのは10都道府県。道である北海道は42.8%
学校基本調査から見える進学動向―38県で地元大学進学率50%以下 | 高大接続改革を知る | Between情報サイト
横格差の解消
かつて日本は教育でその格差がありました。それをなんとかして平等にしようとしたのが当時の文部官僚です。
以下、その話とその予期せぬ結果=教育の画一化のお話です。
そういえば『ドラゴン桜』が一時期地方出身の受験生を増やしたことがありました。 東大入学者の8割は東京近辺です。自宅(実家)から通学範囲ということになります。
縦(東京内格差など)
縦は同じ地域の階層です。一番わかりやすいのが偏差値で、偏差値ごとに見えている世界が違います。だから指摘されているように、釧路に本屋がある・なしは関係ありません。あった方がいいけど読む習慣が無い家庭に本屋はあっても見えないのです(受験参考書の棚は見ない)。東京にある大型書店がいくつあっても本を読まない東京人はいます。それが家庭環境の差です。コメント欄にあった物理的距離では無く文化的距離です。以前はてな界隈で有名になったコンビニ店長がそのような話をしていました。環境の差は思った以上に大きいです。
親の反応
親はせいぜい子供の優秀さをなんとなく喜ぶ程度で、大学進学などという発想はいちども脳裏をよぎることがなく、高校の終盤に先生から打診されてはじめてその可能性を知り、やっとのことで「『大学』って……どこにあるんですか?」と反応するといったありさまだ。
もう古い本ですが、つまり格差はあってそれが固定化しているという話です。
この本『学歴分断社会』が一番手っ取り早く縦の関係(というか断層)がわかります。
「田舎育ちだと教育や文化に触れられず大学に行く選択肢が与えられない」という記事に対して同意や疑問の声 - Togetter
書かれている特徴的な話に立派な図書館だけど誰も利用していないという話が示唆的です。道具ではなく、人を媒介にしたルート、断定的言えば人脈です。
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まとめ
記事にある話の筋は大枠で正しいと思います。だた軸が重なっているので(都市と農村、高学歴家庭と低学歴家庭)、話が難しくなっているのだと思います。
さらに地方のトップ校と東京のトップ校=ほぼ私立一貫校の親を含めた認識の違いというのもあるそうです。地方と言っても関東圏のトップ校の話です。
たとえば、書店には本も揃っていないし、大学や美術館も近くにない。田舎者は「金がないから諦める」のではなく、教育や文化に金を使うという発想そのものが不在なのだ。見たことがないから知らないのである。
こういう話をすると、かならず「いまはインターネットで教育が受けられる」という反応がある。だがこれは、くりかえすが、機会の問題ではなく想像力の問題なのだ。田舎ではそのような発想じたいが不可能なのである。
地方では大学では無く、出身高校が重要です。大学名より地元のトップ校。
さらにある男女の格差
以前某県知事が女子に三角関数は要らないと言ったこと*1があります。これが、少なくとも田舎におけるわかりやすい男女格差です。
学校の先生に女性が少ないので、女子生徒のロールモデル(勉強する女子生徒のお手本)になりにくいというのがあります。
最近の本でおすすめはこちら。
真に格差のある情報は、情報に付随するメタ情報な。進学の機会だの受験情報だのではなく、実際に進学により成功した人の存在こそが意味のある情報で、この情報とはつまり人間のことなの。オンラインには乗らない。
はてなブックマーク - 「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由(阿部 幸大) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
東京と地方というより有名校と無名校の差が大きい。それは「文化資本」なんぞではなく人脈。入学時点で強いネットワークを持つ開成や筑駒の出身者は留年率が低い。東京の中途半端進学校より久留米附設等の方が有利
— Spica (@Kelangdbn) 2018年4月25日
~「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由 https://t.co/oeREkrLSZ8
平田オリザ氏基調講演「文化の公共性を問う~なぜ今、地域に文化が必要なのか」/滋賀県
その話以前からある
http://d.hatena.ne.jp/potato_gnocchi/20130809
アメリカ版
『東大に入って絶望した田舎者』阿部幸大氏のウソを元「底辺校」教員が指摘 - Togetter
まさにこれ(強調引用者付記)。
田舎の底辺層だったら、大学や博物館や美術館があろうと、そりゃその辺に生えてる草木以上に意味はない、って言いたいわけでしょ。あってるじゃん。
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